弥生時代☆その2☆(中学歴史8)

 稲作による土地の収穫量の差により、貧富の差を生むだけでなく、よく採れる土地を奪うばうために争いが起きた。その後、「むら」という集落が生まれ、「むら」どうしが争ったり連合したりして、「くに」ができた。

 1世紀、北九州の奴国という「くに」が、漢に使いを送り、「漢委奴国王」と刻まれた金印を授かった。この金印は、福岡県の志賀島で発見された。その後、「くに」どうしの争いの中で、3世紀に、女王の卑弥呼が、邪馬台国を建てて統一した。卑弥呼は、魏へ使いを送り、「親魏倭王」の称号をもらい、権力を強めた。この出来事は、中国の歴史書の『魏志倭人伝』に記されている。

 稲作に関わる代表的な遺跡に、福岡県の板付遺跡や、静岡県の登呂遺跡があり、争いに関わる代表的な遺跡に、佐賀県の吉野ヶ里遺跡がある。この遺跡は、日本最大級の環ごう集落があったとされている。ちなみに、環ごう集落とは、敵が攻めにくいように、周りにほりをめぐらした集落を表す。

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