飛鳥時代☆その1☆(中学歴史10)

 6世紀から710年までを飛鳥時代という。百済から仏教が伝わった影響で、これを信仰する蘇我氏と、日本に昔からある神教を信仰する物部氏が対立し、蘇我馬子が、物部守屋を倒したことで、蘇我氏が政治権力を握った。
 593年、蘇我氏の親戚である聖徳太子が、推古天皇摂政となり、政治を始めた。摂政とは、天皇が幼い、または女性の時に補佐する役職で、天皇が成人した男性の場合には、関白といわれる。聖徳太子は、603年、親戚に関係なく、個人の実力で位につく冠位十二階をつくり、604年、十七条の憲法憲法十七条)で、役人の心得を記した。589年に中国を統一したとの交流を行うため、607年、小野妹子を隋へ派遣した。隋へ派遣された者を遣隋使という。また、7世紀初期、鞍作鳥が作成した釈迦三尊像があり、世界最古の木造建築の法隆寺を建立し、仏教信仰に熱心だった。この聖徳太子の時に栄えた文化を飛鳥文化という。

古墳時代(中学歴史9)

 300年から6世紀までを、古墳時代という。卑弥呼の親戚であるイヨ(壱与)が亡くなると、国内は混乱したが、5世紀に、大和政権が統一した。この政権では、王の上に王を意味する大王という位を置き(後に、天皇といわれた)、大和政権をつくる際に手伝った人々や、その子孫に高い位を与えた氏姓制度をつくった。

 中国は、南北朝時代朝鮮半島は、北部に高句麗、東部に新羅、西部に百済、南部に加羅伽耶)があり、争いが絶えなかったため、日本に逃亡する人々がいた。この人々を渡来人といい、須恵器などの新しい技術を伝えた。また、加羅を滅ぼそうとする高句麗新羅連合軍に対して、加羅を守るため、倭(日本)は、百済と協力して戦ったが敗北したため、加羅は、562年、新羅に吸収された。この戦いにより、百済と仲良くなり、漢字仏教儒教が日本に伝来した。

 代表的な遺跡として、仁徳天皇の墓とされている大阪府堺市大仙古墳(大山古墳)がある。この古墳の形は、前方後円墳で、周りには、人や動物をかたどったはにわが多く埋められている。

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弥生時代☆その2☆(中学歴史8)

 稲作による土地の収穫量の差により、貧富の差を生むだけでなく、よく採れる土地を奪うばうために争いが起きた。その後、「むら」という集落が生まれ、「むら」どうしが争ったり連合したりして、「くに」ができた。

 1世紀、北九州の奴国という「くに」が、漢に使いを送り、「漢委奴国王」と刻まれた金印を授かった。この金印は、福岡県の志賀島で発見された。その後、「くに」どうしの争いの中で、3世紀に、女王の卑弥呼が、邪馬台国を建てて統一した。卑弥呼は、魏へ使いを送り、「親魏倭王」の称号をもらい、権力を強めた。この出来事は、中国の歴史書の『魏志倭人伝』に記されている。

 稲作に関わる代表的な遺跡に、福岡県の板付遺跡や、静岡県の登呂遺跡があり、争いに関わる代表的な遺跡に、佐賀県の吉野ヶ里遺跡がある。この遺跡は、日本最大級の環ごう集落があったとされている。ちなみに、環ごう集落とは、敵が攻めにくいように、周りにほりをめぐらした集落を表す。

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弥生時代☆その1☆(中学歴史7)

 紀元前400年から300年までを弥生時代いう。この時代には、二つの大きな出来事があった。

 一つ目は、稲作普及である。その際、穂の先だけを刈る道具として、石包丁、米を保存する場所として、高床(式)倉庫ができた。また、縄文土器よりは薄くて割れにくい弥生土器がつくられ、定住して暮らすようになった。そのため、場所による米の収穫量に差が生まれ、その結果、貧富の差が生じた

 二つ目は、金属器(青銅器と鉄器)が伝達し、普及したことである。青銅器は、鉄器に比べもろいが、色がきれいだったので、祭り道具として、銅剣、銅矛、銅鏡、銅たくが作られた。鉄器は、武器の一部として利用された。ちなみに、農具は、木製や石で作られたものが多かった。

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ブラタモリから学ぶこと??

ブラタモリの本を大量購入したので、読むのが楽しみです。

そういえば、何年か前から、中学の社会が、地理と歴史が交互に授業が行われるようになりました。二つの分野を融合して、興味を持たそうという意図なのかわかりませんが、融合という観点からすると、ブラタモリ風の授業が面白くて良いかもしれません。

もし、何も考えていないから、元の戻した方が良いと思います。

地理は、世界や日本を横断、縦断する楽しみがなくなり、そして、歴史は、時代の流れでどう変化しているかを楽しむことができず、各々の全体像がつかみづらく、苦戦している生徒を見ます。かわいそうです。そして、塾で、受験対策などで別々に講義を行うと、面白さに気づく人もいます。

 

なので、融合するならブラタモリ、融合しないなら元に戻してほしいです。

縄文時代(中学歴史6)

 紀元前1300年から紀元前400年までを縄文時代という。地面を掘り、柱を建てたたて穴住居に住み、全員で協力して、狩り・採集を行っていたため、貧富の差がないとされている。また、祭りごとや呪いの除去に土偶がつくられ、食料の調理や保存として、厚手で割れやすい縄文土器が使われ、食べ終わると貝塚に捨てられた。代表的な遺跡として、モースが発見した東京都の大森貝塚や、青森県で発見された大規模な遺跡として三内丸山遺跡がある。

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旧石器時代(先土器時代)(中学歴史5)

 大昔、大陸と日本列島は、陸続きだったため、北からマンモス、南からナウマンゾウやオオツノジカが移動し、それを追いかけて、人類も移動したとされている。

 紀元前約1万年、氷がとけて、日本列島が誕生した。土器がまだ生まれていないため、先土器時代、または、石を砕いて利用する打製石器が使われていたため、旧石器時代といわれる。ちなみに、石を砕き、磨いて利用する磨製石器が使われた時代を新石器時代といい、これは、縄文・弥生時代とほぼ一致する時期である。先土器時代(旧石器時代)の人々は、テントや洞くつに住み、狩り・採集で暮らしていた。代表的な遺跡として、相沢忠洋が、関東ローム層から発見した群馬県岩宿遺跡がある。

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